2018年12月、僕はキューバを訪ねました。
ヘミングウェイが好きなのはもちろんですが、今回はオードリー若林正恭さんの著書「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」に共感したから。
ぼくの違和感。胸に秘めざるを得ない疑いの念。
ブラック企業が増えたこと。
「スペックが高い」という言葉が人間に使われること。
「超富裕層」「格差」「不寛容社会」。
勝っても負けても居心地が悪い。
行き過ぎた資本主義に違和感を覚える人は、たくさんいます。
僕だけじゃないんだという安心感。
ぼくは20代の頃の悩みを宇宙や生命の根源に関わる悩みだと思っていた。それはどうやら違ったようだ。人間が作ったシステムの、一枠組みの中での悩みにすぎなかったのだ。
「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」
「ちょっと待って、新自由主義に向いている奴って、競争に勝ちまくって金を稼ぎまくりたい奴だけだよね?」
子供の頃から「できない君」として悩みを抱えてきた若林さん。
それは「生まれながら」のもので、どうしようもない運命だと考えていたけど、どうやら違うみたいだと。
そうではなく、国が採用したシステムのせいだったんだと気づきます。
カフェを出て家庭教師と別れた後、ぼくは走り出したい気分だった。
「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」
「やった、やった、やった!宇宙や生命や神様の思し召しじゃなかった!」
「新自由主義の思し召しだった!」
そうだったとして。
じゃあ、その「新自由主義」とやらを採用していない国にはどんな幸せがあるのだろう?
次は、そう思いますよね。
では、これがただのシステム上の悩みだったとして、他のシステムで生きている人間はどんな顔をしているんだろう?
「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」
東京も、ニューヨークも、ソウルも、台北も、スターバックスとマクドナルドがあって、みんな同じ顔をしていた。
とにかく、このシステム以外の国をこの目で見てみないと気が済まない。
ぼくが経験したことのないシステムで生きている人たちで、なおかつ陽気な国民性だといわれている国。
キューバ。キューバ。キューバ。
この文章を読んで、、一冊の本がきっかけで、旅行の行き先をキューバを決めました。
たくさんの学びがありそう。
報告は帰ってきてからにします。
なぜなら、キューバはWiFiがつながらないんです。
常時接続はあたりまえじゃない、なんてことも、この国にいると忘れていた。